院長新年挨拶

院長  上村  晋一


 

 

 新年明けましておめでとうございます。新型コロナ感染症に振り回されたといっても過言ではない令和2年が終わり令和3年となりましたが、如何お過ごしでしょうか。昨年は阿蘇地域にとってまことに嬉しい出来事がありました。8月と10月に4年有余ヵ月の間、待ち望んでいたJR豊肥線、国道57号線現道及び北側復旧ルートが完成しました。さらに今年の3月には新阿蘇大橋も竣工すると聞いています。工事関係の皆様には最大級の感謝を申し上げたいと存じます。有難うございます。

 さて令和3年の干支は、辛丑(かのと・うし)であり、辛は「下なる陽エネルギーが敢然として上に出現する形で革新を意味する」、丑は「出た芽が伸びようと構え、養っている状態」の意だそうです。歴史上、辛丑の有名な出来事は、天保の改革が挙げられます。これは天保の大飢饉後、1841年に始まった江戸時代の三大改革の一つで綱紀粛正、倹約令、風俗取締、貨幣改鋳などが行われました。一方、現在は、昨年から続く新型コロナ感染症によるウイズコロナやアフターコロナと呼ばれる新しい生活様式、そして昨年秋のアメリカの大統領選挙に続く混乱が、果たして「革新」と呼べる社会秩序を世界にもたらすのでしょうか。「革新」が殺傷、暴力などを伴う悪い方向に向けばクーデターや戦争が起こり、良い方向に向けば、かつての日本が誇る明治維新となることは論を俟つまでもないことです。

 江戸時代初期、中朝事実を著した儒学者山鹿素行は「いかなるをか義といわんとならば、内に省みて羞畏する所有り、事に処してのち自ら慊(あきた)る、これを義というべし。」と残しています。現代において川口雅明は、義とは「人としてあるべき正しさを感じる心である。」と述べています。さらに、安岡正篤は「義の具体的表現を礼。義・礼に伴うものは敬の情である。」と喝破しています。それにしてもアメリカ大統領選のTV討論会は見るに耐えられなかった。民主主義の雄として、世界を牽引してきた国家の大統領選に立候補したお二人は、互いの礼を失しており、微塵の敬の情を感じることができませんでした。感じられたのは、残念ながら義ならぬ品格の無い「我」であり「利」でした。今後、日本がこの国のパートナーであり続けるならば、何か「革新」的な内なる力が必要と思います。大仰なことではなく、まずは私たち一人ひとりが礼を実践することではないでしょうか。

 最後に今年も中村天風翁の言葉で締めたいと思います。「新しき計画の成就はただ不撓不屈の一心にあり、さらばひたむきにただ想え、気高く、強く、一筋に。」

 


 

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